東北の大地震より、今日でちょうど一週間が経つ。
先週の金曜日、社長と一緒に営業にいき、ミーティング後日本一エスプレッソがうまいという
赤坂の店に行き、しばし休憩。
そこで社長とは別れ、自分は次の営業へ。場所は原宿。
ここまでは普段と何も変わらない、日常。
しかしそのミーティング中、地球は揺れた。
日本という地震大国に27年も住んでいる。
地震の経験なんて、何度もある。
今回もそうだと思った。だが違った。
長く揺れ続け、次第に大きくなり、先方のオフィスに飾られているオブジェは落ち、
ギターは倒れる。
何もかもが異常だった。
揺れると同時に、大切な人に連絡をするが、電話は全く繋がらない。
それでもずっと震え続ける地球。
人はこういう非常事態で、自分にとって何が一番大切なのかを認識すると思う。
数ある知人の中で、即座に安否が気になり、連絡を取りたいと切に願うのは、
複数はいない。
俺の場合は一人だった。
繋がらない電話にいらいらしていてもしょうがない。
気がつくとその人の家の前にいた。
ピンポンを押し、安否を確認できた時の安心感。
俺にとって本当に大切な子なんだなということを認識した瞬間。
そこから一週間。
電気は不安定で、コンビニには物はなく、ガソリンは"売り切れ"の文字。
街は暗い、流れるニュースは不安を煽るものばかり。
失ったものは確かに多い。だが同時に得たものもある。
今回の震災で得た物は、この人生で必要な物なんて、そんなに多くないんではないかという感覚。
それと同時に"日常"への感謝。
俺にとって、大切な人と一緒に過ごせ、尊敬できる人と一緒に働き、
気の合う仲間と一緒に飲んで、たまに家族と語らう。
これさえ出来れば正直それでいい。
何となく感じてはいた事だが、今回それが確信に変わった。
だが同時に自分の大切なものすらもコントロールできない自分の力の無さに
涙が流れた。
これだけあればいい、と思えるものを、しっかり守れない。
これほど情けないことはない。
普段から公言している己の信念として、
"自分の一番大切な物一つ守れない男に、できることなんて何もない"というものがある。
今回この信念に反している自分に出会った。
俺は普段から全てに対して生真面目に生きてはいない。
むしろ殆どの事に対しては不真面目に、"こなして"生きてきた。
だけど、大切なことだけは抑えてきたつもりだ。
でも今回はそれができなかった。
その時、自然に涙が流れた。
それは悔し涙なのか、寂しくて流れたのか、絶望した涙なのか、
はっきりとは自分でもわからない。
でも止まらなかった。
まだまだな自分に気付き、そこで絶望する事無く、次なるステージを目指す。
強い想いを腐る事無く持ち続け、絶対に得たい物がある。
それを得る為に、俺はそろそろ日常に戻ろうと思う。
非日常なんて1週間もあれば十分だ。飽きちまったよ。
感謝すべきは、日常がいつも通りに流れる事。
私も日常に戻ります。
日常がこんなにも幸せだと感じた一週間はありませんでした。
被災者の方にもそんな日が一日、一秒でも早く来る事を願うばかりです。
投稿情報: rm- | 2011/03/20 01:11
>rmさん
多くの人にとって、これからが本当に大変な時期になるのだと思いますが、日本は絶対に立ち直れると信じています!
投稿情報: Ryohei | 2011/03/22 03:11