僕には全然興味のない分野に、少なからず興味を持たせてくれた事を僕は感謝している。
まずはそれを伝えたい。
そして資本主義経済で30年弱生き、Profitをとにかく求め続ける世界で、
君よりほんのちょっとではあるけれど、長い時間surviveしてきた僕の意見をここに書きたい。
Non-Profitの世界に対して、全く経験もなければ、知識すらもない僕の意見だ。
対して気にする事はないと思う。
でも、少しでも僕の意見が君の今後の勉強に役立つと嬉しい。
まず断言する。僕はNon-Profitの世界を一切否定はしていない。
もっといえば、心から、"素晴らしい世界を構築できる知恵"
がここにはあるんじゃないかとさえ思っている。
ただし、Non-Profitの世界に従事している人で、本当にセンスのない人がいるのも事実。
僕は君の持つ感性があれば、coolな"Non-Profiter"になれると思う。
では早速話を始めよう。
まず、世の中は何事もトレードオフの関係であると僕は思う。
何かを失えば何かを得る。常にだ。
人は120円を失って、缶コーヒを得る。
人は遊ぶ時間を失って、勉強する時間を得る。
人は自然を失って、便利さを得る。
僕は何事もこの関係がなりたつと信じている。
つまり、何も失わずに何かを得る事なんて不可能だって。
そう言う意味で僕は、"選択"という重要性を説いている。
選ぶという事は必ずそれと引き換えに何かを失っている。
そして人生は"選択"の連続だ。と。
これに関しては長くなるのでこれ以上は書かない。また今度君のために書こう。
Profitの世界はわかりやすい。
人は利益を上げるためには、そこにお金を払いたいと思わせるようなサービスを
作る必要がある。つまりお金と引き換えになるような商品・サービスを作る事によって、
それとお金をトレードするのだ。
ただ"法人"を作って、座っているだけで、利益があがることは絶対にない。
世界はトレードオフの関係がすべからく成り立つのだから。
何かを得るためには、何かを失う。
いやいや、給料貰うためには別に何も失ってないでしょ!と思う人もいるかと思う。
でもそれは違う。
サービスを作るためには"時間"が必要で、時間を失う。
考えれば考えるほど、"睡眠時間"を失い、必死になればなるほど、
"友達と飲む時間"を失う。
しかし、いいサービスを作れれば、人は自らの"お金"を失ってでも、
"サービス"を欲してくれる。
これがProfitの世界だ。
次にNon-Profit。
ここで僕が一番懸念しているのは、Non-Profitの世界では、
何も得ずに何かを得れると本気で考えている人が多数いるという事。
冒頭でも述べたが、何も得ずに何かを得る事は不可能だ。
そこを理解していない人が多い。
例えば今回の東日本大震災を例にとろう。
多くの慈善活動家達が動いた。これはすばらしいことだと思う。
でもその活動家達の中には上記のようなトレードオフの関係を、
全く理解していない人たちが多く現れた。
例えば大きな声で募金を呼びかけている駅にいる人たち。
彼らは本当にあんなことをしてお金がいっぱい集まると思っているのだろうか。
僕は首を傾げる。
Non-Profitをやる上で絶対に認識しないといけない事。
Non-Profitでいいと思っているのは主催者だけで、
実際にそれに参加する人たちの殆どは、何かしらの対価を求める。
それはもしかしたら、
"ちゃんと慈善活動に参加している私は、いいことをしっかりできる人"
という"自己満足感"のような形にはできないものの事ももちろんある。
でも何かしらの対価を求めているのだ。
今回"自粛"という言葉が至る所で聞かれたが、"自粛"とは文字通り"自ら粛す"ことであり、
決して他人に求める事ではない。
自粛は強制でやらされた時点で、自粛ではなくなる。
これはNon-Profitでも同じ事が言える。
募金を集めたいと思う事は自由だ。しかし、募金させることを他人に強要することは絶対に出来ない。
募金してくれる人に対しては、何か対価を与えなくてはいけないのだ。
大きな声を出して駅前で募金を”集めようとしている”人たちに僕は思う。
君たちはその大きな声を出して頑張っている姿に対して、お金を払ってもらいたいのか?と。
僕は今回の件で、募金もしたし、救援物資も提供した。
でもそれはある団体が頑張っている姿に対して、
"よく頑張ってるな!これからも頑張れよ!"なんて、思って募金したのではない。
自分の提供できるものを届ける術がないから、彼らに託したのだ。
ただそれだけだ。(もちろん活動家達に対する尊敬と感謝の念はある。)
僕はFactに対して、お金が集まる事はないと考えている。
"想い"に対してはお金は集まる。
それはProfitの世界も同じ。経営者の熱い"想い"に乗っかる投資家は多い。
しかしその後の見返り(上場益や、Buyoutした際の利益等)があってこそのだ。
想い×プラスαの見返りに対してお金が集まると僕は考える。
今回で言えば、東日本大震災というFactに対してお金が集まっているのではない。
"被災者を助けたい!"という想いにお金が集まる。でもそんな団体はいくらでもある。
だからこそ、プラスαで"僕らに預ければ間違いなく僕らの手で被災者に届けます!"とか、
"僕らに預ける事でこの地域の人たちを助ける事ができるんです!”とか、
そういうものがあってこそお金が集まるのだ。
全く別の観点で言えば、"被災者を助けたい”という想いに、”大好きな人と会える"という
プラスαを乗じた人もいる。それがジャニーズだ。
これを考慮すると、駅にいる人たちは東日本大震災(Fact)に
被災者を助けたいという想いをかけているだけのバカだと僕は思う。
Factにお金は集まらないのだから0だ。0に何をかけようが0なのだ。
Non-Profitに従事する人は、想いを持っている。
それを実現する為にプラスαで何を提供するか、これが重要だと僕は思う。
ちょっと長くなってしまったから、今回はこれくらいまでにしよう。
次は上記を踏まえた上で、僕の考える理想のNon-Profitの世界感を書きたいと思う。
non-profitについて書いて頂き、ありがとうございます:)
Ryoheiさんが言う様に、それちょっと違うんじゃないの?って考えがnon-profitの世界には横行してるかもしれません。
サポートしてあげる人の事ばかりを考え、サポートしてくれる人にとって何の対価もないサービスは、最初受け入れられてもずっと続くわけないんです。善意だけではどうにもならない…だから日本には資金不足に困ってるNPO団体がほとんど。
私はもっと斬新で、もっとcoolなサービスを勉強してきたいなって思ってます:) non-profit側の意見だけを聞いていたらそんなアイディアは浮かびません。なので、これからも是非profitな世界から見た厳しい考え方を教えてもらえたら嬉しいです。討論しましょうーw
次のブログも楽しみにしています!
投稿情報: rm- | 2011/04/03 21:19
>rm-さん
一番重要なのは自分の価値観と他人の価値観は全く違う事を認識した上で仕組みづくりをしていく事だと僕は思っております。
We should understand the distinction between own ethic theory and others ethic theory.
投稿情報: Ryohei | 2011/04/05 02:06